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「ソ満国境 15歳の夏」 松島哲也監督に聞く―中国ロケを敢行し6年がかりで完成、戦後70年のこの夏公開へ

  1_(C)「ソ満国境 15歳の夏」製作委員会

2_松島哲也監督 【日本 映画 ブログ】

 戦後70年のこの夏、敗戦前後における少年時代の過酷な実体験を綴った1冊の本を原作とした映画が8月1日から、東京、大阪、名古屋を皮切りに全国で公開されます。

 ソ満国境 15歳の夏。 監督は松島哲也氏。

 約3000キロにも及ぶロケハンを経て、中国現地ロケを敢行。 資金難や日中関係対立の影響による撮影中断など、幾多の苦難を乗り越えてこの作品を6年がかりで完成させたそうです。
 松島監督に、映画に込めた思いなどについてうかがいました。

 インタビュー記事は、公益社団法人 日中友好協会 (丹羽宇一郎会長) の新聞 『日本と中国』 の最新8月1日号 (7面) に掲載されました。

 よろしければ、映画と合わせて、ぜひご注目ください!

3_(C)「ソ満国境 15歳の夏」製作委員会  ■ 「ソ満国境 15歳の夏」 あらすじ 

 東日本大震災から1年。
 被災した福島の中学生で放送部員の吉川敬介 (柴田龍一郎) たちは、津波で撮影機材を失い、中学最後の夏に作品づくりができないことを残念に思っていた。
 校庭では、原田 (夏八木勳) たち老人が、ボランティアで除染作業をしている。

 ある日、中国・黒竜江省石岩鎮という見知らぬ土地から撮影機材が届き、「ぜひ取材してほしい」と思いもよらない招待を受ける。 敬介たちは、引率の古賀先生 (大谷英子) とともに、かつて石頭村と呼ばれていた石岩鎮に向かう。

 旅の途中、古賀先生は敬介たちに、機材とともに届いた一冊の本 『ソ満国境・15歳の夏』 を紹介する。
 そこに書かれていたのは昭和20年5月、勤労動員としてソ連と「満州」の国境近くに送られた旧制新京第一中学の少年たち120人の驚くべき実話。 敗戦前後に置き去りにされた少年たちが故郷へ帰るまでの過酷な体験を、生存者の一人が綴った壮絶な記録だった。

 敬介たちは、招待してくれた長老、金成義 (田中泯) の達者な日本語に驚く。 そして長老から、撮影してほしい場所を明かされる。 そこは、当時の少年たちが命懸けの逃避行をしたソ満国境の土地だった。
 長老は、取材や撮影を続ける敬介たちに、当時の出来事を話し始める。 やがて招待された本当の理由や、長老の秘めていた真実が明らかになる……。

■ 「ソ満国境 15歳の夏」
2015年製作/94分/カラー/デジタル 配給:パンドラ+ジャパン・スローシネマ・ネットワーク

■ 公開情報
〔8月1日(土)〜〕 東京 「K's cinema」、大阪 「シネ・ヌーヴォ」、名古屋 「シネマスコーレ」
〔8月22日(土)〜〕 神奈川 「横浜シネマリン」、千葉 「京成ローザ10」

■ 松島哲也監督 プロフィール
(まつしま・てつや) 1960年、福井県出身。 日本大学芸術学部映画学科教授。 83年、同大学卒業後、数多くの作品で演出・監督を務める。
2002年、短編自主製作映画「宇宙の夏」の監督・脚本を担当、米ヒューストン国際映画祭の短編ファミリー部門ゴールドスペシャル審査員賞を受賞。 2004年、「新しい風」で、同国際映画祭の長編部門でグランプリに輝く。
本作では監督・脚本・プロデューサーと多岐に渡って担当した。

4_『日本と中国』 最新8月1日号※ 写真は、上から

1) 敗戦前後、新京第一中学の少年たちはソ満国境で命がけの逃避行をした 
 (C)「ソ満国境 15歳の夏」製作委員会

2) 「戦後70年の今年、子どもたちの命を誰がどのように守っていくか、改めて考えてほしい。 この映画が、ご家族のコミュニケーションのきっかけになれば」 と松島哲也監督

3) 石岩鎮に向かう途中、引率の古賀先生 (中央) が敬介たちに1冊の本を紹介する 
 (C)「ソ満国境 15歳の夏」製作委員会

4) 『日本と中国』 最新8月1日号 (7面) に掲載されたインタビュー記事


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  • 2017.06.23 Friday
  • -
  • 12:40
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コメント
知的好奇心が、MAXまで高まりました。

福島飯舘村で除染工事を行っておりますが、
除染の道のりはまだまだ長いようです。
過酷な環境下ですが、自分には何ができるか。何をすべきか。
早く安心できる環境を願いつつ,祈りつつ、自らもまた励みつつ。

帰村できず、子どもたちの将来を危惧する村民の声を耳にすると、原発の必要性を改めて考えさせられます。

ところで、『ソ満国境 15歳の夏』・・楽しみにしております。
  • にこにこのujicyan
  • 2015/08/02 9:21 PM
にこにこのujicyan様: ありがとうございます。

> 福島飯舘村で除染工事を行っておりますが、
> 除染の道のりはまだまだ長いようです。

そうでしたか。本当にお疲れ様です。m(_ _)m

除染工事・除染作業の進展状況については、ニュースではあまり触れられない部分のような気がします。
私も実際のところはよくわかっておらず、申し訳ないような気持ちになります。

映画には、 被災した福島の中学生たちが登場しますが、松島哲也監督は、「被災地から避難を余儀なくされた少年たちと、かつてソ満国境をさまよった同じ15歳の中学生たちと、何かがつながる思いを抱いた」として、原作を大きく膨らませ、共同脚本を執筆されたとのことでした。

> 原発の必要性を改めて考えさせられます。

おっしゃる通り。何か“大きな存在”の圧力で「原発が作らされている」と感じているのは、私だけではないでしょう。

参院で審議中の安全保障関連法案も含めて、これからの日本を思うと、不安になることばかりです。

> ところで、『ソ満国境 15歳の夏』・・楽しみにしております。

ありがとうございます!
福島の被災地(仮設住宅)でもロケをされていますので、地元でもぜひ上映されることを願っています。

猛暑の折、くれぐれもご自愛くださいますようお祈り申し上げます。夏安! (-人-)
ソ満国境の話題と原発の話題がでているのが印象的です。
関東軍は「満州国」にソ連軍が、1945年8月になだれ込んでくる情報をすでにつかんでおり、自分の家族だけは、「内地」にかえすというようなことをやっており、一般の「満洲国」にいた庶民には一切そういう情報は伝えられていなかったわけですね。
だからソ満国境でさまよう中学生がいたということなのでは?
あるいは満蒙青少年義勇軍というのもありましたね。中学生の年齢で満洲におくりこまれた青少年たち。
「絶対に満州国は大丈夫」という宣伝もされていた。
一方、絶対安全だと宣伝されていた原発。
事故を起こし最初「メルトダウンしてない」といってましたが、実際はメルトダウンしていた。「満洲は日本の生命線」で「満州国」なくなったら日本は資源がなくなり破滅に陥るともいわれてましたが、原発もなくなるとエネルギーがなくなり日本が、破滅に陥ると
同じようなことがいわれてます。
「満州国」と原発は似ているなあと思ったりします。まだ故郷に帰れない人がたくさんいるのに原発再稼働などということをいいだす人々の醜悪さには目を覆いたくなります。
  • ゴジラ@北京
  • 2015/08/05 6:27 AM
ゴジラ@北京さん: ありがとうございます。
本当におっしゃる通りです。
いつの時代も、被害を受けるのは弱者である一般庶民ではないか。だからこそ私たちは、日ごろからメディア・リテラシーを高めておく必要がありますよね。

映画「ソ満国境 15歳の夏」の原作の著者、田原和夫さんは、こう述べておられます(映画パンフレットより)。

「1945年5月末、勤労動員で級友120名とともに東部ソ満国境の東寧報国農場に派遣されました。戦局は厳しくなっていました。まさか精鋭を誇る関東軍が国境の守備を放棄しつつあるとは知るよしもなく、ソ連領を眼前にする現地に赴き農作業に従事しました。その実は国境守備部隊の後退を隠蔽するために送り込まれていたのです」……。

“人柱”として、まだ少年である中学生たちが国境に送り込まれていたのです。

黒木監督の子ども向けの著書『私の戦争』(岩波ジュニア新書、2004年7月刊)にはこうあります。

「私たちの現在の日常のなかに『戦時下』のあの日々の姿がかたちを変えて、ふたたび透けて見えてくるような危機感を私はいだきます。これが『昭和ひとけた世代』特有のとりこし苦労であることを願います」……

刊行から10年たっても、黒木監督の「憂い」はなくならないばかりか、かえって増すばかりではないでしょうか。

今年の日本の夏は、嫌になるほどに、憂鬱になるほどに、暑い夏です……。

>“人柱”として、まだ少年である中学生たちが国境に送り込まれていたのです。

やはりそうですか。
それで当時の中学生たちをソ満国境に送り込んだ人々の責任が、戦後日本で問われたというはなしを聞いたことがないんですよね。

これもあれだけの事故を起こしながら誰も責任を問われない原発とよく似ているんですよね。すごくよさそうなことをいいますが、いったん事故が起こったら取り返しがつかないことになることは知っている。でも絶対にそのことは言わない。
「満洲国」の“人柱”にされてきた一部が、これらの中学生たちだったとすれば、
戦後日本の原子力政策の“人柱”にされてきたのが、第五福竜丸の被曝者です。
そのなかでも社会的発言を続けた大石又七氏は、日本の市民科学者として特筆に値します。

忘れかけられていた第五福竜丸を朝日新聞に投書することによって記憶をよみがえらせた人が、満州から引き揚げてきた、敗戦当時、中学生の年齢だった武藤さんという人だったことには因縁を感じさせられます。
  • ゴジラ@北京
  • 2015/08/07 6:30 AM
ゴジラ@北京さん: ありがとうございます。
責任を問われない、という意味では、ヒロシマ・ナガサキに原爆を投下したアメリカは、戦勝国ということで、その責任を問われていません。あれだけの被害をもたらしたのに……(昭和20年末までに、死者は広島約14万人、長崎約7万人)。

昨日、たまたま自宅で観た、日系米国人映画監督スティーヴン・オカザキのドキュメンタリー映画「ヒロシマナガサキ」(2007)は、14人の被爆者と、原爆投下に関与した4人のアメリカ人の証言に、貴重な(アメリカ側などの)記録映像や資料を交えて、原爆の悲惨さを伝えていました。

『はだしのゲン』の作者、故・中沢啓治さんもお元気そうな姿で、インタビューに答えていました。皆さんが答えていた中に「戦後60年」という言葉がよく出てきましたが、あの映画が製作されてからもう10年経っているのです。中にはすでに他界された方もいらっしゃるでしょう。

「伝えること」「知ること」の重さを、戦後70年の夏に改めて考えています。
>責任を問われない、という意味では、ヒロシマ・ナガサキに原爆を投下したアメリカは、戦勝国ということで、その責任を問われていません。あれだけの被害をもたらしたのに……(昭和20年末までに、死者は広島約14万人、長崎約7万人)。

そうですね。アメリカの公教育では、「あの原爆投下によって戦争の終結をはやめた。アメリカ兵の多数の命を救ったのだ。」と教えられている。アメリカ人でそう信じている人も少なくないでのでしょう。
日本で統計調査では、ヒロシマ、ナガサキに原爆が投下された日を正確に答えられる人が三割を下回ったというニュースも驚きました。あんなに毎年ニュースでやっているのに、。
アメリカの占領期の原爆調査団のことを研究していた笹本征男という市民歴史家と知り合いでしたが、彼の研究の重要性を改めて思いました。
「アメリカが」という主語を入れることが重要なのだとよくいっていました。
日本ではアメリカの責任を問うという発想自体が、希薄で乏しいですね。
日本の保守政治家が「あの原爆投下は仕方なかった。あれによって戦争の終結が早まったのだ」と発言して問題になったことがありました。
作家、徐京植さんの学生が、皮肉で「原発を「原子力の平和利用」というが、「戦争を終結させた」という意味では原爆投下も「原子力の平和利用」ではないか」といったといいます。

>昨日、たまたま自宅で観た、日系米国人映画監督スティーヴン・オカザキのドキュメンタリー映画「ヒロシマナガサキ」(2007)は、14人の被爆者と、原爆投下に関与した4人のアメリカ人の証言に、貴重な(アメリカ側などの)記録映像や資料を交えて、原爆の悲惨さを伝えていました。

オリバー・ストーン監督は、アメリカの公教育での、「あの原爆投下によって戦争の終結をはやめた。アメリカ兵の多数の命を救ったのだ。」と教えられている説に疑問を投げかけていますね。日本が終戦を決意したのは1945年8月9日(ちょうど70年前!)ソ連軍が「満洲国」になだれ込んできたことが、引き金となっているのであって、かならずしも原爆投下が原因なのではないと。長崎への原爆投下とソ連軍が「満洲国」になだれ込んだ日が同じ日なのは、なぜか。アメリカは、広島と違うタイプの原爆をなぜ長崎に投下したのか。ソ連をけん制し戦後冷戦を有利にたたかうという目的があったのではないかといっています。アメリカ人の多くは、この歴史を公教育ではならいませんね。満州事変、第五福竜丸のビキニ被曝、そしてソ連軍の「満洲国」へのなだれ込み、こういった歴史は日本、中国、アメリカなどで共有化すべきではないかと思います。

>『はだしのゲン』の作者、故・中沢啓治さんもお元気そうな姿で、インタビューに答えていました。皆さんが答えていた中に「戦後60年」という言葉がよく出てきましたが、あの映画が製作されてからもう10年経っているのです。中にはすでに他界された方もいらっしゃるでしょう。

私は『はだしのゲン』は北京のB3で読みました。読みごたえありました。
  • ゴジラ@北京
  • 2015/08/10 12:06 AM
ゴジラ@北京さん:ありがとうございます。

つい先日、NHK教育テレビで深夜にアーカイブの再放送をやっていまして、つい先日亡くなった日本の哲学者で、評論家である鶴見俊輔さんのインタビュー番組でした。

[ETV特集『鶴見俊輔〜戦後日本 人民の記憶〜』(NHK教育テレビ、2009年4月12日放送)]

1938年に渡米し、ハーバード大学に進学し、アメリカのことをよく知っていた鶴見さんは早くから太平洋戦争で「日本は負ける」とわかっていたとか。
しかも原爆投下が「アメリカ兵の多数の命を救った」というロジックがおかしいことを指摘していました。なぜならアメリカが勝つことは、原爆を投下する前に、すでに明白だったからだそうです。

ならばなぜ広島、長崎に投下したか?
それはゴジラさんもおっしゃる通り「ソ連をけん制し戦後冷戦を有利にたたかうという目的」のためだった、と。

このETV特集は、鶴見さんの追悼番組として再放送されたのでしょうが、2015年の今、見ても、示唆と含蓄に富んだ鶴見さんの思考には、深く考えさせられます。

そういえば鶴見さんはその番組で、「アメリカは日本に2つの、いや2つ半の原爆を落とした」といっていました。その半分というのが、第五福竜丸のビキニ被曝のことを指していたのでした。
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