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満鉄中央試験所の“ラストキャプテン”、故・丸沢常哉氏について語る―北京日本人学術交流会代表の山口直樹さん

  1_大連の旧満鉄中央試験所で

 【中国 ラジオ ブログ】
 北京で活動する日中学術交流の草の根組織 「北京日本人学術交流会」 の代表、山口直樹さん (北京大学博士課程修了) がこのほど、中国の対外向けラジオ放送、中国国際放送 (北京放送、CRI) のインタビュー番組に登場。

 自身の研究対象である、旧満州 (現中国東北部) に存在していた 「満鉄中央試験所」 の歴史や、同試験所の最後の所長で、日本敗戦後も自ら中国に留まり、10年間にわたり中国人技術者を育てた故・丸沢常哉 (まるさわ・つねや) 氏について詳しく語りました。

■ CRI オンライン 「北京日本人学術交流会代表・山口直樹さんに聞く(上)」 (音声)

 山口さんによれば、満鉄中央試験所は1906年、日本の半官半民の植民地国策会社として大連に設立された南満州鉄道株式会社 (満鉄) の総裁、後藤新平によって翌1907年に関東都督府試験所として設けられたのが始まり。
 1910年には満鉄内に移管され、満鉄中央試験所となったそうです。
 丸沢氏は、東京帝国大学工学部応用化学科卒。 ドイツ留学後、九州帝国大学工学部応用化学科の教授になりますが、万有還銀術のスキャンダル (何でも銀に変換するという詐術を見破れなかった事件) で辞職。 その後、旅順工科大学教授や大阪帝国大学応用化学科教授を経て、昭和11年 (1936年)、 満鉄中央試験所所長に就任。
 1945年の日本敗戦まで同所長を務めたため、丸沢氏は同所の最後の所長 (いわば “ラストキャプテン”) となりました。

 日本の敗戦時、満鉄の多くの上層部は 「ソ連や中国に接収されるぐらいなら研究成果を渡さない方がいい」 という判断から、資料を燃やすように指示しました。 しかし丸沢氏は、そうした指示に逆らって、満鉄中央試験所の研究成果をそのままソ連や中国に引き渡そうとしました。 丸沢氏は、「科学研究の成果は人類共通の遺産だ」 と考えていたようです。
 その後、中国に残った丸沢氏は1955年まで10年間にわたり、中国人技術者を指導、教育したそうです。

 実は、北京放送は1955年2月に、日本に引き揚げる直前の丸沢氏にインタビューをしていました。 現在、録音は残されていませんが、山口さんは入手した丸沢氏のインタビュー内容を番組で紹介。
 このほど、その貴重な文字記録をお送りいただきましたので、山口さんによる解説とともに以下にご紹介させていただきます。

 かつて植民地化を進めていた中国東北部に渡った日本の科学者が、戦後もなぜ同地に留まり、当時の日本や新中国 (中華人民共和国) をどのように見ていたか? 知られざる日中科学技術交流史の一端がうかがえるようです。

 以下、長文になりましたが、丸沢常哉氏の強い “思い” にご注目ください。

  2_現在の大連化学物理研究所

【北京放送インタビュー: 満鉄中央試験所 最後の所長・丸沢常哉氏】
  (1955年2月、原文ママ)

3_丸沢常哉氏北京放送 どういうことで今日までおられたのですか。

丸沢 私は元来、化学をやりました。 終戦の時には、大連の満鉄中央試験所長をしておりました。 私は、中国人民に対して何とか日本人民の一人としてお詫びしたいと考え技術者の同志をつのりまして帰る機会がありましたが、自ら進んで残ったのです。

北京放送 こちらのいろいろな御体験やご感想を?

丸沢 私は、中国の若い青年に接しておりましたが、日本人ならば3年かかるところを1年でというように5年かかるところも1年でというように若い化学人たちの進歩が非常にはやい。 そこで私は自分の科学技術は、もう落伍したと感じましてもう今は日本に帰って日本の平和のために日中友好のために、またソ連との友好のために働く時期が来た、こういうふうにかんじました。

北京放送 中国と日本はどういう間柄にたった方がよいでしょうか。 

丸沢 日本は中国を侵略した。 しかし、中国人民は日本人に対しすこしも恨んでおらん。 むしろ自分の方から手をのべて日本と国交を回復するというてくださる。 それだけの大きな度量を持っている。 日本の人民さえその気になれば中国との友好はちゃんとできる。

北京放送 最後に家族の方あるいは親友の方に対して何か話していただくことはありませんか。

丸沢 家族とは、昨年10月末から11月にかけて中国紅十字会の李徳全会長が、日本を訪問した際、託してくれた私の家族の写真を今年の一月に受け取りました。 私の家内はじめ家内の母、私の知らない孫の顔を見ることができました。その好意に対してお礼を申します。――


【満鉄中央試験所と丸沢氏】  (解説・山口直樹氏)

4_大連にある満鉄中央試験所の史跡碑 1907年に関東都督府中央試験所として誕生した満鉄中央試験所は、初代所長には薬学者の慶松勝左衛門を迎え初期は、衛生や生物学関係の研究を行っていた。

 二代目の所長として東京工業試験所所長だった高山甚太郎を迎え、「満洲」の工業化を意識した研究所となっていく。
 1920年代からは、組織改革を繰り返して、大豆から燃料をつくったり、オイルシェールの技術開発をやったり、石炭液化の研究をやったりと、「満州」の重工業化を促進するような性格を強めていった。つまり、この研究所は、日本がもっていた植民地最大の工業実験室といっていいものであった。

 南満州鉄道株式会社(満鉄)は、日本の植民地国策会社として1906年に設立されていた。日本は当時、日露戦争を経て、中国東北部への本格的な進出を強めていた。
 丸沢常哉氏が、最後の所長を務めることになる満鉄中央試験所は、はまず、満鉄の総裁だった後藤新平によって1907年に関東都督府試験所として設立された。今、何かと話題の理化学研究所よりも設立は、満鉄中央試験所の方が、10年ほどはやいのである。1910年には、満鉄のなかに移管され、満鉄中央試験所となる。

 丸沢常哉氏は、1883年3月17日、新潟県高田市現在の上越市に生まれている。
 1904年に第一高等学校卒業、1907年には、東京帝国大学工学部応用化学科を卒業した。1911年ドイツ留学 (主にベルリン工科大学化学研究室で研究) 後、1914年、九州帝国大学工学部応用化学科の教授に。1917年「サルファイトパルプの研究」で工学博士を取得した。万有還銀術のスキャンダルで九州帝国大学辞職後、旅順工科大学教授や大阪帝国大学応用化学科教授を経て満鉄中央試験所所長となっている。丸沢氏が、所長になった1939年ころから満鉄中央試験所の予算も大きく増加した。

 丸沢氏は、思想的には東京帝国大学教授だった吉野作造の影響をうけており、九州帝国大学教授時代には、同僚と巨大資本のためではなく民衆のための科学研究所として民衆科学研究所の創設に奔走していたこともある。
 このような思想の持ち主であったため関東軍とは折りあいはよくなかった。

 戦後においては自らの時局への対応を反省し、「政治経済に無知だったために侵略の手先にされてしまった」 と姪の丸沢美千代氏に語っている。
 井村哲郎氏も指摘していることだが、日本の植民地にいた科学者でこのような発言を行っていたのは、丸沢常哉氏以外には知られていない。

 敗戦のとき満鉄の上層部は、ソ連や中国に接収されるぐらいなら研究成果を渡さない方がいいという判断で、資料を燃やすように指示している部局が多かった。しかし、丸沢常哉は、そうした指示に逆らってまで、満鉄中央試験所の研究成果をそのままソ連や中国に引き渡そうとした。丸沢氏は、「科学研究の成果は人類共通の遺産だ」と考えていたようだ。これはたとえば731部隊のような、研究成果をいちはやく廃棄し、責任者がすぐに「内地」に逃げ帰るというような対応とは対照的なものであった。

 このため満鉄中央試験所の研究成果は、ソ連の略奪から守られ、新中国へと継承された。
 満鉄中央試験所は、現在、大連化学物理研究所となっている。
 大連には、満鉄中央試験所のほかに衛生研究所という研究所が存在していたが、石堂清倫氏によれば、衛生研究所所長もまたはやく日本に帰ることばかりを考えていたという。

 一方、丸沢氏は、10年にわたって中国に残留し、中国人技術者に教育や指導を行い四川省にすら出向いていた。経済評論家の佐高信氏は、丸沢氏の思想を 「キャプテンラストの思想」 () と評したことがある。 (以上)

※ 注= 海難事故では船長が最後に脱出する、責任者が責任を果たした上で帰還する、という思想。


■ CRI オンライン 「北京日本人学術交流会代表・山口直樹さんに聞く(上)」 (音声)〜丸沢氏 

■ CRI オンライン 「北京日本人学術交流会代表・山口直樹さんに聞く(下)」 (音声)〜ゴジラ


※ 写真はいずれも山口直樹さん提供。 上から、

1) 大連の旧満鉄中央試験所のあった場所で、接収にかかわった中国人科学者と山口さん (中央)
2) 旧満鉄中央試験所は現在、大連化学物理研究所に
3) 帰国後の丸沢常哉氏
4) 大連市が市レベルの文物保護単位として建立した、満鉄中央試験所の史跡碑


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  • 2017.05.23 Tuesday
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